学校長のお話

始業式では、子どもたちに「挑戦することの大切さ」を話しました。次年度の新学習指導要領全面実施に伴い、教育界においては「主体的、対話的で深い学び」が求められています。これは、「社会がどのように変化しても、多様な人々とのつながりながら自らの人生を切り拓き、持続可能な社会を創造していくこと」が、今の子どもたちに求められているからです。未来を予測することが困難な時代だからこそ、自ら考えて行動し、「自分に対して挑戦する子ども」に成長してほしいと願っています。(2019年4月)

昔から「子は親の背中を見て育つ」言われていますが、最近は「スマホばかり見て、親の背中は全く見てくれない」といったぼやきも聞こえてきます。しかし、本校の子どもたちは、親が役員として働く姿、卒業生が当たり前のように手伝う姿を、しっかりと見ていたと思います。運動が得意な子、勉強が得意な子、植物の世話が得意な子、校外活動が得意な子…、自分の活躍できる場面があるからこそ、自己有用感も生まれてくるものです。今後も行事や活動を大切に、子どもたちの成長の手助けをして行きたいと思います。(2019年6月)

毎年この時期『キャンプの勧め』をしています。「自然体験が、子どもの脳にも心にも良い影響を与えるだけでなく、予期せぬトラブルによる対応力や、家族の協調性が身に付く。また、美しい景色や星空など、感動を共有し合うことで、子どもの成長に影響を与える。」からです。非日常での「思い通りいかない生活」が、今後の「予測不能に時代」に対応できる「生きる力」にもつながると考えます。バーチャルな世界で生きている子どもたちに、リアリティのある経験をさせるため、『家族でキャンプ』この夏のイベントとしていかがでしょうか…。(2019年7月)

教文部主催の「100年の木、1000年の木を見つけに行こう!」に参加させてもらいました。うれしかったのは、歩きながら子どもたちがしっかり道草していることです。笹笛や葉っぱのお面を作ったり、きのこを採ってきたりと、自然に慣れ親しんでいる子どもたち、自由人で歩く辛さを忘れさせてくれました。自然とのいろいろな出会いや発見、喜小っ子の魅力を再発見させてもらいました。(2019年8月)

ユキムシ、子どもたちにもなじみの虫ですが、本名は「トドノネオオワタムシ」といいます。でも、花などにつく「アブラムシ」の仲間です。「ユキムシ」と聞くと「カワイイ!」となるのに、「アブラムシ」と聞くと「わっ! やめて!!」となります。ちょっとした見かけの違いで、我々は簡単に「差別」をしています。(2019年9月)

感銘を受けたのは、ニュージーランド、トンガ、オーストラリア、南アフリカ、韓国など出身国の異なる選手が、日の丸をつけ、チームのために闘う姿です。ラグビー独特のルールですが、そこに政治的な色は全くありません。このことはまるで、これからの日本社会の縮図を見ているようでした。先日東京で、老舗っぽい讃岐うどん店に入ったところ、注文を聞きに来た店員は、たどたどしい日本語を話す外国人でした。国籍は分かりませんが、店員の約半数が外国人でした。人手不足が深刻化している日本社会、AIよりもはるかに速いスピードで、日本社会に進出してきています。社会が「ワンチーム」になれるかどうか、ラグビー日本代表がお手本のような気がします。(2019年10月)

2010年のスマホの普及率はわずか10%でしたが,今の子どもたちにとってスマホは生まれたときから存在することがあげられます。スマホがない時代を知っている大人たちにとってスマホは「これができる!」「あれができる!」といった魔法の道具のように感じますが,子どもたちにとっては,空気や水のような当たり前の存在なのです。従って,大人よりも利用するハードルが低く,危険な領域にも自然に入ってしまう傾向があると言われています。利便性がある一方で,いろいろな落とし穴があることを,与える側の親がしっかりと認識し,教えることが不可欠です。世の中の変化に,親の方がついて行けていないという現状もありますが,「コントロールできないものを手にする」これ以上危険なものはないように感じます。魔法は使い方によって,美女にも野獣にも変えることができるのですから…。(2019年11月)

アフガニスタンで,中村哲医師が銃撃された事件は記憶に新しいことと思います。大統領が棺を担ぎ,航空会社は肖像画を機体にペイントし,哀悼の意を表しました。現地の人のインタビューでも「中村さんは我々の心の中で生きています」「我々は100年忘れることはないでしょう」と語っていたのも印象的でした。「100年忘れない!」漠然とした言葉ですが,30数年前,イラン・イラク戦争が本格化した際、トルコ航空2機恐怖に怯えた日本人215名を救出してくれることがありました。「なぜ,トルコ機が?」多くの日本人がもった疑問に,駐日トルコ大使が答えってくれました。「約130年前,エルトゥールル号の事故に際して,日本人がなしてくださった献身的な救助活動を,今もトルコの人たちは忘れていません。」(2019年12月)

1月17日だったので子どもたちに「阪神淡路大震災」の話をしました。25年前のことで,当然子どもたちにとっては「昔話」に過ぎないわけですが,現地でも災害に対する風化が懸念されているようです。しかし,何らかの形で後世に伝えることは我々の責務であり,初動対応の遅れが被害を拡大させたことなど,「準備をしておくことの大切さ」を話しました。今回伝えきれませんでしたが,今後,この震災をきっかけに,「災害ボランティアが定着したこと」「カセットコンロのボンベが統一化されたこと」「水道蛇口が下げ止め式に統一されたこと」など,我々の生活に関しての変化も,伝えていきたいと思っています。(2020年1月)

10年前にチリで起きた鉱山落盤事故を覚えていらっしゃるでしょうか? 地下600mに閉じ込められた33人が69日後カプセルで救出された事故です。あの時地下では,「タイマー付きの蛍光灯によって疑似的に昼夜を作り生活のリズムを保った」「環境係,安全係,カレンダー係…33人それぞれが役割を担い仕事を受け持った」「一人一票制の民主主義を採用し,問題が起きた時には助け合った」「地上との連絡は前向きなものを中心に,悲観的な内容は伏せた」などと伝えられています。生活リズム,役割分担,モチベーションの維持が,全員救出という奇跡につながったとされています(2020年3月)


ご家庭の事情がそれぞれあるかと思いますが「親子でできること」をいくつか提案をさせていただきます。
①〔親子で家キャンプ〕庭がない方は家の中にテントを張るというのも,秘密基地気分で楽しいですよ!
②〔親子で家庭菜園〕お子さんにはマイプランターとして1つ与え,責任をもって管理させる方法もありますね。
③〔家族で演奏会〕ギター,ヴァイオリン,オカリナ…,ご家庭にお父さんお母さんが昔使った楽器眠っていませんか? 上達したら,家族でバンドも夢じゃない!
④〔家族でマスク作り〕最近手作りのマスクも随分流行ってきました。そこで子ども自身が自分で作ると愛着感は別物になります。
⑤〔親子でメニュー作り〕先日TVで「居酒屋に行けない夫のために妻が家で『居酒屋メニュー』を作ってもてなした」というほっこりする話題が流れていました。見かけだけでなく,味も変わるかも? (2020年5月)

先日,3年生2人がおっかなびっくり(?)校長室に入ってきました。「校長室のドアをノックすること」子どもによっては一つの冒険です。こうした一つ一つの経験が,次のドアを叩く勇気を与えるものです。子どもへの支援方法はいろいろありますが,このような場合,「私も一緒に行くから」「私ここにいるから」といった精神的な支援が大切なのかなと感じました。校長室を出る2人の満足そうな笑顔は忘れられません。(2020年6月)

中島みゆきの歌(詩)作りの原点は,小学生の時に父親から言われた「刀で切った傷は薬つければ治せるけれど,言葉で切った傷は薬では治せない。」という言葉だそうです。「切る言葉があるんなら,治す言葉があるんじゃないか。」言葉へのこだわりは,そこから始まったと言われています。私たちも,デリケートな時代,感受性豊かな子どもたちに,どんな言葉をかければ良いのか迷ってしまうこともあります。しかし,bestではなくbetterな言葉であっても,そこに「心」があれば,生きた言葉として子どもたちの心に届くのではないでしょうか。(2020年7月)

先日,洞爺湖畔でカルガモ?親子の道路の横断風景を目撃しました。ただ私が感心したのは,道路を渡り切った後,草むらに入る際に,子ガモを先に行かせ,安全を確認してから親ガモが最後に草むらに入ったところです。誰かに教えられたわけでもないはずなのに,身を守る行動が身についている動物たちの行動には感心させられます。動物たちの行動は,時として我々の子育てのヒントにもなるようです。(2020年8月)

霊長類学者でもある京都大学の山極壽一総長がかつて,
「人間の五感は『オンライン』だけで相手を信用しないようにできている。」「チームワークを強める,つまり共感を向ける相手をつくるには,視覚や聴覚ではなく,嗅覚や味覚,触覚を使って信頼をかたちづくる必要がある。」 * 2017サイボウズインタビューより引用
と語っていました。昔から,「同じ釜の飯を食った仲」と言われることがありますが,中学や高校で入学後の早い時期に宿泊研修をおこなっていた経験はないでしょうか?。一緒に食事をしたり,風呂に入ったりすることが,視覚・聴覚以外に,嗅覚・味覚・触覚の共有につながっていたものと,今,改めて感じます。(2020年9月)

昔話になりますが,テレビが普及し始めたころの「新聞は要らなくなる」という話がありました。しかし,映像の良さ,活字の良さ,それぞれの長所を生かし,テレビと新聞はうまく棲み分けし共存してきました。近年インターネットの普及により,両者がピンチを迎えていますが,それぞれに長所があり,短所があるように思います。“Yes”“No”の2択ではなく複数選択,曖昧なところは曖昧のままに残す,このような考えは子育てにも共通するような気がします。(2020年10月)

航空会社の客室乗務員に関して,以前このような話がありました。
「横浜市在住の男性が半世紀以上連れ添った妻に先立たれ,故郷である佐賀県に納骨に向かう機内でのことです。遺骨の入ったバッグを上の棚に入れて席につくと,客室乗務員が『隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?』と声をかけてきました。『上の棚です。』と答えると,バッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれました。『お連れ様の分です。』と飲み物も用意してくれました。この男性は『最後に二人でいい旅行ができました。』と感謝の言葉を語っていたそうです。」 2017.7.13.西日本新聞より引用
コロナ禍で人間関係がぎくしゃくしてきている昨今,こんな人間関係を早く取り戻したいものです。(2020年11月)

e-sportsをsportsと捉えるかどうかは意見の分かれるところですが、元々チェスやカードゲームなどもsportsと捉えていた人々と、運動をsportsと捉えていた人々とは明らかに文化の違いがあります。「外国でe-sportsはsportsなんだから日本でもsportsだ」と主張されても素直に「ハイ」と言えないのがここにあります。ゲームをすること自体は否定しませんが、オンラインゲームには注意が必要です。子どものふりして大人が参加していることもあり、時々親がチェックする必要はあります。そして何よりも、ゲーム時間も含めた家庭でのルール作りが大事です。「一定のルールに則って勝敗を競ったりするのがsports」なのですから…。(2021年2月)

授業後、「外来種にも1つの命があること」「私もだれかに良いことをしてもらったら、だれかに恩返しをしようと思いました」「これまで罪を犯す人が悪いと思い込んでいましたが、本当はそれを見て何もしない勇気がない弱い人たちが悪いということに気づかされまた」といった感想が寄せられました。授業のレベルとして難しい内容が多かったのですが、1年生から6年生まで17人それぞれが、自分の考えをしっかりともって発表してくれたのがうれしかったです。「命の大切さ」「真実を追究すること」「平和を求めること」「自ら考え行動すること」などを少しは伝えられたのかなと思っています。良い子どもたちとの出会い、それが私の教員としての最後の財産となりました。先日、子どもからかけられた「校長先生、退職したらダメです!」という言葉が、今も心に響いています。(2021年3月)