胆振支庁


北海道はとても広いので、14の地区に分けています。

この地区のことを
支庁(しちょう)といいます。

中島小学校は、その中の
胆振(いぶり)支庁にあります。


【胆振支庁の場所】 

胆振支庁は、北海道の中央南部にあって、
東西152Km、南北98Km の細長い地形をしていて、
南部の約218Kmは海岸線で太平洋に面しています



胆振(いぶり)支庁には、15の市町村があります。
中島小学校は、その中の
室蘭(むろらん)市にあります。

胆振支庁地図 西胆振の8市町村 東胆振の7市町村

【地図のどこかをクリックすると、西胆振と東胆振の市町村が見られますよ】



【胆振(いぶり)という名の由来】

(北海道大百科事典より)

 明治初年、松浦武四郎が北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境迄を一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」として、その国名としては「日本書紀の胆振に気がついたので、『胆振』でいかがでしょうか。」と、北海道開拓使長官に建議しました。それで、胆振という国名ができました。

  「日本書紀」によれば、斉明天皇の時代に阿部臣(おみ)が北征した時、
  「胆振さへ(いぶりさへ)」の蝦夷を宴会に招待したとあります。
   また、新井白石が「胆振さへ」とは、北海道の勇払(いぶつ)地域のこと
  ではないかと言っています。

  

【胆振のあゆみ】

1869年(明治 2年) 開拓使が設置されました。蝦夷(えぞ)を北海道と改め、当地方は胆振国と称されました。
1882年(明治15年) 開拓使が廃止され、三県制が施行されました。札幌県の所轄となりました。
1886年(明治19年) 三県制が廃止され、北海道庁が設置されました。
1907年(明治40年) 輪西(わにし)村で製鉄所(現在の新日鐵室蘭)の建設が始まりました。
1909年(明治42年) 樽前山の大噴火が起きました。
1910年(明治43年) 王子製紙苫小牧工場が操業を開始しました。
1922年(大正11年) 胆振支庁が設置されました。
1943年(昭和18年) 有珠山の地殻変動が活発になりました。(後に昭和新山になりました。)
1949年(昭和24年) 支笏洞爺国立公園が指定されました。
1977年(昭和52年) 有珠山が噴火しました。
1998年(平成10年) 白鳥大橋が完成しました。
2000年(平成12年) 有珠山が噴火しました。

 

【胆振の面積】

 胆振の総面積は3,697平方キロメートルで、北海道の総面積83,452平方キロメートル(北方領土含む)の4.4%にあたります。14支庁の中では檜山、石狩に次いで3番目に小さい面積ですが、奈良県(3,691平方キロメートル)とほぼ同じ面積です。

 

【気  候】

 胆振の気候は、全般的に臨海性で、一部には海霧の発生や冷涼な地域を含みますが、積雪寒冷の厳しい北海道にあっては、比較的温暖で暮らしやすい地域となっています。
 春のおとずれは早く、夏は蒸し暑さはなく、さわやかで、安定した気候の長い秋が続いた後、冬の対馬海流の影響を受け、山間部の一部を除き、温暖で積雪量も少ないなど、恵まれた気象条件にあります。

 

【胆振の人口】

 胆振の人口は、約44万5000人で、北海道の総人口の7.8%にあたります。
 また、人口密度は120人/平方キロメートルで、北海道平均の73人の2倍近くになっています。

 

【胆振支庁(事務所)所在地】

胆振支庁に関する仕事をしている建物(事務所)も胆振支庁と言います。この胆振支庁は室蘭市にあります。ですから、「胆振支庁の所在地は室蘭市」となります。

 


この胆振支庁のページは、
胆振支庁発行の『胆振(胆振の概況2000)』より抜粋しています。

もっと胆振支庁について詳しくお知りになりたい方は、
胆振支庁のホームページをご覧ください。

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