胆振支庁は、北海道の中央南部にあって、 東西152Km、南北98Km の細長い地形をしていて、 南部の約218Kmは海岸線で太平洋に面しています。 |
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【胆振(いぶり)という名の由来】 |
(北海道大百科事典より) 明治初年、松浦武四郎が北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境迄を一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」として、その国名としては「日本書紀の胆振に気がついたので、『胆振』でいかがでしょうか。」と、北海道開拓使長官に建議しました。それで、胆振という国名ができました。 ※ 「日本書紀」によれば、斉明天皇の時代に阿部臣(おみ)が北征した時、 |
【胆振のあゆみ】 |
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1869年(明治 2年) | 開拓使が設置されました。蝦夷(えぞ)を北海道と改め、当地方は胆振国と称されました。 |
1882年(明治15年) | 開拓使が廃止され、三県制が施行されました。札幌県の所轄となりました。 |
1886年(明治19年) | 三県制が廃止され、北海道庁が設置されました。 |
1907年(明治40年) | 輪西(わにし)村で製鉄所(現在の新日鐵室蘭)の建設が始まりました。 |
1909年(明治42年) | 樽前山の大噴火が起きました。 |
1910年(明治43年) | 王子製紙苫小牧工場が操業を開始しました。 |
1922年(大正11年) | 胆振支庁が設置されました。 |
1943年(昭和18年) | 有珠山の地殻変動が活発になりました。(後に昭和新山になりました。) |
1949年(昭和24年) | 支笏洞爺国立公園が指定されました。 |
1977年(昭和52年) | 有珠山が噴火しました。 |
1998年(平成10年) | 白鳥大橋が完成しました。 |
2000年(平成12年) | 有珠山が噴火しました。 |
胆振の総面積は3,697平方キロメートルで、北海道の総面積83,452平方キロメートル(北方領土含む)の4.4%にあたります。14支庁の中では檜山、石狩に次いで3番目に小さい面積ですが、奈良県(3,691平方キロメートル)とほぼ同じ面積です。 |
胆振の気候は、全般的に臨海性で、一部には海霧の発生や冷涼な地域を含みますが、積雪寒冷の厳しい北海道にあっては、比較的温暖で暮らしやすい地域となっています。 春のおとずれは早く、夏は蒸し暑さはなく、さわやかで、安定した気候の長い秋が続いた後、冬の対馬海流の影響を受け、山間部の一部を除き、温暖で積雪量も少ないなど、恵まれた気象条件にあります。 |
胆振の人口は、約44万5000人で、北海道の総人口の7.8%にあたります。 また、人口密度は120人/平方キロメートルで、北海道平均の73人の2倍近くになっています。 |
胆振支庁に関する仕事をしている建物(事務所)も胆振支庁と言います。この胆振支庁は室蘭市にあります。ですから、「胆振支庁の所在地は室蘭市」となります。 |
この胆振支庁のページは、
胆振支庁発行の『胆振(胆振の概況2000)』より抜粋しています。
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胆振支庁のホームページをご覧ください。